四柱推命旺

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指揮者の山脇幸人さんが31歳で死去~先天運解読

今回は先日虎の舞でも記事を書いた、山脇幸人さんの先天運について解説したいと思います。山脇さんはご存知のように、31歳という若さでがんによって急逝したと伝えられています。

【指揮者の山脇幸人さんが31歳で死去~姓名・三才にあらわれた病難暗示!】

山脇幸人さんの命式と日干強弱

山脇幸人さんの誕生日は、幾つかの情報サイトで1992年5月8日として伝えられており、この情報を元に命式を出してみます。

天干
地支

山脇さんの日干は甲木であり、月支は巳火(休令)の生まれです。私の作成したプログラムでは、三柱において日干は平弱と出ており、日干は強くも弱くもない状態と言えます。

何より、山脇さんの命造(三柱)の位相が高いことに注目してください。その理由は主に以下となります。

  • 日干の力量が強すぎず・弱すぎず適度
  • 調候用神の壬水が、天干・地支双方で活きている
  • 五行が具備され、食傷生財となっている(火は、巳・申の蔵干である戊を生じる)

上記は三柱での判断ですが、三柱で既に五行バランスが良いため、基本的に時柱に何が巡ってもそれほどバランスが崩れることはありません。このため、山脇さんの先天運に早世するような暗示は見られず、余程姓名構造と大運動向が悪いはずだということが、命式を見ただけで予想できるのです。

そして山脇さんは、高位相であることを示すように、これまで順調に成功・発展してきており、指揮者として数々の受賞歴があります。

申・巳・申の並びに注意?

しかし、山脇さんの命式に一点気になるところがあります。それが、申・巳・申の並びです。なぜならこれらの地支は、いずれも金の五行を蔵干にもつため、金旺運に入ると途端に金の力量が強まり、忌神化するためです。

時柱が不明のため踏み込んだことは言えませんが、大運・流年運を読む限り、時柱にも土や金の五行が巡っていた可能性が高いと読んでいます。

いずれにしても時柱や日干強弱が不定の場合は、大運と事象の観察を行い、喜忌を見いだす必要があります。

そこで山脇さんが死亡した当時の大運を見ると、それは【戊申】金旺運となっているのです。この申運は、蔵干に印の壬水を有するものの、本気は庚金であり、地支の申金をさらに強めながら、日干の甲木を剋していることが分かります。

そして申金の壬水は、月支の巳火を弱め、食傷の働きを無力化しているのです。それに天干が戊土のため、火のエネルギーはさらに奪われ、同時に天干の壬水を剋すことで印の働きも弱めていることが分かります。

なお申と巳は支合の関係ですが、申が二支ありますし、何より天干が戊土のため支合はしません。したがって金が大過し、日干の甲木を傷つけたことは明らかなのです。このような結果から、山脇さんの命式は身弱である可能性が高いと言えます。以下に一応、解命予測結果を載せておきます。

  • 日干:甲木
  • 日干強弱:身弱(平~小弱程度)
  • 格局:偏財格・食神格・偏官格の可能性
  • 用神:癸水
  • 喜神:水・木
  • 忌神:金・土
  • 閑神:火
  • 調候:壬

姓名構造が凶暗示を強めるということ

しかし、それでもやはり31歳という若さで死ぬような、大忌の運勢とは言えないのです。もし金の時間の生まれだとしても、【壬申】【癸酉】と印の水が天干に巡るため、日干は平弱程度であり、むしろ高位相の先天運となります。最も悪いのは【戊辰】や【庚午】時ですが、それでも日干は小弱程度で、位相は中以上。

当たり前のことですが、山脇さんと同じ生年月日の人で、さらに長生きする人は山ほどいるのです。このことを考えると、やはり姓名構造が著しく悪いのではないか?という結論に至ります。

虎の舞の方でも紹介しましたが、山脇さんの姓名構造は以下のようになっています。

山脇幸人さんの姓名構造

天格・15・土|人格・20・水|地格・10・水|外格・5・土|総格・25・土
三才【土・水・水】

用神の水が二格に入るものの、五格においては、忌神の土が三格に入り優勢となっています。それも、陽土が陰水を剋す配置となっており、大凶の構成です。

これらの姓名における五行の力量を原局の力量に加えると、五行バランスは以下のようになります。

  • 木:6.0
  • 火:3.3
  • 土:21.7
  • 金:2.3
  • 水:14.7

上記は三柱+姓名での数値ですが、姓名を考慮すると土の力量が突出して高くなっており、土・金を特に忌むことになります。また、おそらく山脇さんは火・土・金いずれかの時間生まれの可能性が高いため(死亡時の大運・流年運から推測)、これにより忌神の数値がさらに高くなると読んでいます。

そして山脇さんが死亡した流年は【癸卯】でしたが、死亡時の月運は【壬戌】であり、喜神の卯が戌と合去していた可能性も興味深いところです。

ということで、もし山脇さんがより良名を得ていれば、社会的成功のみならず、健康・長寿であったことは間違いありません。