四柱推命旺

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森永卓郎さんの先天運解読と喜神・忌神・大運動向について

今回は先日ガンのため亡くなられた森永卓郎さんの先天運解読と喜神・忌神・大運動向について解説致します。

森永さんは1957年7月12日生まれとあります。

森永卓郎さんの格局と日干強弱

天干
地支

上記が森永さんの生まれ日の三柱です。日干は乙木、月支は未月・火旺の生まれで食傷が月令を得ています。

まず命造は比劫・印がほとんどなく、食傷・財・官で構成されており、なおかつ食傷が月令を得るため従児格を疑うところですが、従児格には分類されません。

その理由は食傷(火)・官(金)が相剋しているためです。これは天干の丁と酉の剋。および未の蔵干である丁と酉金の剋から分かります。したがって森永さんの格局は普通格局の食神格に分類されることが分かります。

そして日干強弱は身弱です。最も日干が強まる卯時生まれだとしても小弱程度ですので、日干も身弱で確定です。

森永卓郎さんの喜神・忌神

そうであれば喜神・忌神も自ずと分かります。解命結果は下記となります。

  • 日干:乙
  • 格局:食神格
  • 日干強弱:身弱(小~中弱)
  • 用神:癸水
  • 喜神:水・木
  • 忌神:火・土・金
  • 閑神:金(水旺運の時期は閑神となる)
  • 調候:壬水

命造は火旺の生まれのため火や土ばかりであれば生気の無い先天運となりますが、救いとして地支に酉が二支あり、火が大過するのを防いでいます。また酉金は、水が巡る時期は水源となるため忌神とはいえこれは喜の傾向です(時柱に水があればなお良い)。

しかしながら、陰干とはいえ日干が弱すぎるため、水もしくは木の生助が必要であり、これらの五行が有力な時期が喜神運となります。逆に忌神(特に火・土)が強まる時期は日干が過弱に陥るため、健康運が大きく低下するでしょう。

森永卓郎さんの大運動向

そこで本当に事象と合致するのか、簡単に森永さんの大運動向を見ていきます。森永さんは成年~壮年期において非常に喜の傾向ある大運干支が巡っており、この時期に成功していく暗示が見られます。

甲辰運(21歳~)

森永さんは大運逆旋ですので、【甲辰】運は前半土旺、後半(6年)木旺運となります。したがって喜神運と呼べるのは大体26歳頃からで、その後24年間もの間喜神が巡っています。

この時期は1980年代前半からで、ウィキペディアには以下のような記述があります。

  • 1980年3月、東京大学経済学部経済学科卒業後の同年4月 日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社(JT))に入社。半年の研修終了後、管理調整本部主計課資金係 に配属。
  • 1982年、日本経済研究センター総合計画局へ出向し、予測研究員として従事。1983年、同公社に復帰し、渋谷営業所に配属。
  • 1984年、経済企画庁に出向し、労働力及び人的能力担当計画官付委嘱調査員。森永はバブル時代の収入が少なかったと自身で回顧しており、この頃から雑誌への寄稿を開始。
  • 1986年、JTに帰任し、製造本部製造企画課に配属。同年に三井情報開発総合研究所へ出向。1988年1月末付でJTを退職。

癸卯運(31歳~)

用神の癸と卯木が巡る人生で最高に運気の良い時期です。卯木が巡ることで食傷、財が活発化するため、仕事が好調になる暗示です。この時期の事象は概ね以下となっています。

  • 1988年2月、三井情報開発株式会社総合研究所に移籍し、副主任研究員。
  • 1991年、株式会社三和総合研究所に移籍、研究開発部副主任研究員、1992年、研究開発部主任研究員、1993年、研究開発第3部(経済・産業・社会政策)主任研究員に昇進。1997年から2000年まで、経済・社会政策室 室長兼主任研究員、同年、経済・社会政策部 部長兼主席研究員に異動。
  • 1990年代後半頃から、『アクセスNOW』(テレビ神奈川)等の放送メディアにも出演し始める。

壬寅運(41歳~)

続く運も非常に良い運気です。前運と比較すると、寅は木のエネルギーがやや弱く、蔵干の丙火が活発化するためやや総合運勢は劣るものの、天干の壬水が火の大過を防いでおり、酉金相生壬となるため官(地位向上・社会運良好)も有力となります。

この時期は1998年~です。

  • 2002年、三和総研が東海総研と合併してUFJ総合研究所となり、同社経済・社会政策部 部長兼主席研究員。
  • その後、『ニュースステーション』の番組制作を担当していた芸能プロダクションであるオフィス・トゥー・ワンに所属。なお、放送メディアに出演し初めた40歳当時の髪型はリーゼントであった。
  • 2004年から、父の京一が毎日新聞社退職後にかつて教鞭を取っていた獨協大学の特任教授に就任し、その後、特任で契約していた同大学との教員契約を優先し、2006年4月に経済学部教授に就任。ただし、この時期も並行して2005年4月から同社客員研究員を2007年3月まで担当した。以後、大学教授の肩書きでタレント活動を行っている。

辛丑運(51歳~)

ところがここへ来て忌神運が巡ってきます。地支の丑は未と冲、酉と半合の関係にあるため固有根として働きます。つまり火->土->金相生の流れが出来、さらに天干にも辛金が巡るため忌神の働きが強まり、日干の乙木が剋され弱ります。

病気についてはよく誤解がありますが、忌神運に必ずしも健康状態が悪化するとは限りません。忌神運の直前に出る場合もよくありますし、忌神運を抜けて喜神運に入って間もなく亡くなられる方もいます。森永さんの場合は後者です。

ガンは土に象徴されるため、多くは土が忌神であり、その上で姓名構造も悪く、さらに大運に忌神(土)の干支が巡る時期が注意なのですが、この【辛丑】運がそれに当たっています。すなわち、『原発不明ガン』はおそらくこの大運の初期(土旺)に発し、徐々に森永さんの体を蝕んでいったものと推測できます。

この大運の土旺期は2008年~2014年です。また流年をうかがうと、2009年に【己(土)丑(土)】運が巡っていますので、この辺りでガンが発現した可能性が高いでしょう。もう少し早く見つかっていればと悔やまれる事象です。

庚子運(61歳~)

その後2018年からは再び喜神運に入りますが、時既に遅しといったところでしょうか。流年は【2023年12月27日、ステージ4の膵臓がんであると公表した】とありますが、これは年運【甲(木)辰(土)】運に入る直前でした。

ご存じの通り、辰は本来子と水局半合を形成しますが、酉があるため水を吸い上げて金を相生するという効果を発揮し、結果的に強まった金が乙木を弱めました。したがって既に発現していたガンが辰運に入って勢い強くなり、森永さんを死に至らしめた、ということが分かります。

この時、虎の舞でも解説のとおり、姓名構造によっては全く異なる運命となるのですが、森永さんは姓名構造が悪く、姓名による助力を得ることができませんでした。心よりご冥福をお祈り致します。