宅間守の先天運解読~喜神・忌神の判断と性情分析、先天運位相について
虎の舞でも記事を書きました、2001年6月8日に発生した附属池田小事件の無差別殺人犯、宅間守の先天運について解説致します。
宅間守の先天運においては、先天運を見る上で非常に重要な視点がいくつか含まれていますので、その点についても解説したいと思います。
宅間守の命式と格局について
宅間の先天運については、以下のサイトで『昼』という記述がありますので、これを参考にしたいと思います(生時についての信憑性についての議論はやはりありますが、昼頃生まれの場合ある理由にて位相が極端に低くなるため、正しい可能性があると考えています)。
宅間が1963年11月23日昼頃の生まれとなると、時柱は以下の2通りになると思います。
天干 | 壬 | 庚 | 癸 | 癸 |
---|---|---|---|---|
地支 | 午 | 午 | 亥 | 卯 |
上記は11時~13時までの午時での時柱です。日干は庚金であり、月支は亥月・水旺、食傷司令の生まれです。日干の庚を生助する土・金が皆無であるため、まず特別格局を疑うべきですが、注目すべきは時柱が【壬午】であるということです。
庚にとって、壬は食傷、午は官ですが、食傷・官が剋し合う場合は特別格局が成立しません。命造は地支の亥・卯が木局半合を形成し、従勢格となりそうな格局ですが、【壬午】によって外格不成立となる時間なのです。
このため上記の生まれでは食神格。喜神は土のみ、忌神が水・木・火、金が閑神となります。比劫の金が閑神となる理由は、天干に三干も食傷が並ぶためで、金は忌神寄りの閑神と言えます。
上記の生まれの場合、命造には喜神が一点も入りませんので、位相は最低ランクです。ただし調候が有効ですので、低の中程度と判断できます。
天干 | 癸 | 庚 | 癸 | 癸 |
---|---|---|---|---|
地支 | 未 | 午 | 亥 | 卯 |
上記は13時~15時までの生まれです。こちらも天干に三つに食傷がありますが、午時と異なるのは水と火の相剋がない点です。また印である未と午が合去するため、従児格が成立することになります。しかし調候不良の命造です。
上記命造は特別格局の従児格ですが、位相は調候不良ということもありこちらも最低ランクです。従児格や従財格の場合、適切な官があるとまずまず良好な命運となることがありますが、原局では官も調候もありません。
なお私の判断としては、【癸未】時という説が有力だと考えています。その理由は次の大運の項で明らかにします。
宅間の大運動向と五行力量の変化について
宅間は幼い頃から手の付けられない乱暴者であったということですが、このような人間に典型的な命造として(姓名構造も関係するため必ずそうなるわけではない)、食傷が官を剋す構造であるというものです。特に比劫と食傷が旺盛な力量を有し、弱い官を剋す場合です。
なぜなら【官】が象徴するものとして、目上の人間・上司・両親・法律・自分を拘束するもの等が当てはまるためです。したがって比劫や食傷が強すぎて官を刻すタイプは、非常に反抗的・好戦的であったり、法律やルール・約束事などを平気で破る傾向があるのです。
その点を踏まえると、まず午時の生まれでは食傷大過といえども、地支に午(官)が二支あるため、官が効いています。これは何を意味するのかというと、官は気質のページでも解説したとおり自制心・克己心などを象徴するため、宅間の暴虐な性情と合致しないのです。
しかしこれが【癸未】の場合は、未・午が去ることによって、官が皆無となるわけです。つまり原局における性情は日干・食傷・財のみの構成であり、官による抑制機能が働いていないのです。
したがって宅間の生まれが【癸未】と仮定した上で、大運の動向を追ってみましょう。
4歳~14歳【壬戌】
地支に戌が巡るとどうなるかというと、戌は原局の卯、そして午の二支に同時に作用するため、未・午合去、および亥・卯の半合を同時に解合します。すると格局は破格となり、この時期は食神格となります。
なお宅間はこの第一運から、ちょうど死ぬまで命造が破格となるため、食神格として考えるべきなのです。あらためて以下に原局を示し、食神格としての喜忌を確認しておきます。
天干 | 癸 | 庚 | 癸 | 癸 |
---|---|---|---|---|
地支 | 未 | 午 | 亥 | 卯 |
【癸未】の生まれだとすると、宅間が死ぬまでの大運、戌・酉・申・未(土旺のみ)すべて破格です。そして破格時の格局である食神格の喜神・忌神は以下となります。ちなみに【壬午】時の生まれの場合も食神格です。
- 日干:庚
- 格局:食神格(破格時)
- 日干強弱:身弱(中弱以下)
- 用神:戊土
- 喜神:土
- 忌神:水・木・火
- 閑神:金
- 調候:丙火(不良)
上記で金を閑神としていますが、地支が無根のため、限りなく忌神寄りだと考えてください。特に亥と卯が解合する場合は水がさらに強まるため、比劫が食傷を強める原動力となり、官を剋破します。
なお原局に【壬戌】が巡ったことで食傷がさらに強まりますが、戌のおかげで午・未が原局に戻り、また戌自身も湿土となって日干を生じるため、その次に続く大運よりは高位相となります。しかしながら、宅間の姓名構造が金ばかりということもあり、比劫・食傷大過し、下記のような性情傾向があらわれたと見ることができます。
『幼稚園入園前は三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、大きい石を投げて相手にけがさせる、走っている列車に向かって石を投げる、線路に石を置く悪質な列車妨害、弱いものいじめ、暴力行為を行ったりしていた。小学生時代のあだ名は『ゴン太くん』であり、犬や猫などの動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害したこともあった。小学校卒業後も問題行為はエスカレートし、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるという。大人しくもなく、これらの悪事を繰り返す一方で、他人との協調性は極端に低く、悪仲間との徒党を組むこともできなかった。』(ウィキペディア・宅間守より)
ちなみに宅間は父親を殺したいと思っていたとのことですが、父親は財に象徴され、強すぎる比劫と食傷が財を破っている五行関係が確認できます。(金の食傷は水だが、水が強すぎると木の財は濡れて朽ちる。ただし、調候が適切な場合は問題ない)
14歳~24歳【辛酉】
この大運から宅間は成人しますが、以下のように犯罪を犯すようになります。
『除隊後(航空自衛隊)、2001年の池田小学校殺傷事件まで約20年近く、宅間は運送会社やトラック運転手、引越し業者など十数社にわたる転職を繰り返していたが、いずれも数週間から半年以内で退職している。精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになった。またこの頃から、知り合いの女性を呼び出しては強引に肉体関係を結ぶことに耽溺するようになっていった。1984年(昭和59年)11月21日、マンション管理会社に勤務していたときには家賃の集金と称して大阪市東淀川区の女性の部屋に上がり込み、顔面を数回殴りつけ、首を絞めるなどして強姦する事件を起こしている』(ウィキペディア・宅間守より)
大運【辛酉】は比劫運で、命式破格。また酉は原局の卯のみに作用し、未・午を解合しません。これは非常に注目ポイントであり、なぜなら調候不良・官なし・食傷大過の三つが同時に起こるためです。いずれも悪運去来する暗示です。
そして、ここで宅間の五行の力量に注目します。以下の五行力量は、原局+大運のものです。食傷大過と言いましたが、同時に比劫も大過していることが分かると思います。
- 木:7
- 火:0
- 土:0
- 金:17
- 水:24
以下は五行の様相を加味した数値になります。非常に悪い暗示は、まず強い比劫が食傷を生じ食傷大過。官は皆無であり、比劫・食傷(自我)が暴走する暗示。加えて官・印がなく、食傷を止めるものが全くない状態です。さらには調候不良であり、精神的にも自暴的で鬱々とした状況が伝わってきます。
さらにここで、宅間の姓名構造における五行力量も加味してみましょう。
- 木:5
- 火:0
- 土:5
- 金:37
- 水:25
自我を象徴する比劫が37の力量に達し、日干身強となるほどです。このような強い比劫が食傷を生じることになるのですが、財・官ともに全く不及ですので、食傷の行き場がありません(五行の気勢が流通しない)。このような場合、自我が暴走するような状況となって、自ら災厄を招く傾向・暗示がありますが、その様子が事象となってあらわれています。
24歳~34歳【庚申】
天干・地支ともに金であり、状況は変わりません。ただし大運と原局との関係では、申は亥・卯を解合しないため、財が前運よりやや有力となり、財や異性への関心が少し高まります。しかし申の蔵干に壬水を有すること、加えて比劫・食傷が強すぎるため財は無力に近い状況となり、やはり運気としてはひどいものです。
この時期に宅間は多数の凶悪な事件を起こしていますが、象徴的なものを一つあげておきます。
『また、1995年(平成7年)11月27日には、バス運転手をしていて知り合った44歳年上の女性と財産目当ての養子縁組をしたが、宅間が暴力を振るい金を取るなどしたため、1997年(平成9年)1月7日に協議離縁している。一方、1996年(平成8年)12月15日にはお見合いパーティーで2歳年上の女性と知り合っており、離婚歴を隠した上で執拗に結婚を迫った。この女性は乗り気ではなかったが、「結婚しなければ、お前を殺して私も死ぬ」などと言われたり、実家の住所を調べ上げられたりしていたため、周囲への迷惑を考えて1997年(平成9年)3月30日に結婚(3回目の結婚)。しかし妻は、宅間の粗暴な振る舞いや暴力を受けたり、周囲とトラブルを起こす宅間の姿を見るなどした上、過去の養子縁組の件を知ったため、離婚を決意した。』(ウィキペディア・宅間守より)
34歳~44歳【己未】
宅間の大運は逆旋のため、未は土旺から開始します。土旺は6年間ですので、34歳~ちょうど死刑が執行される40歳(2004年)まで命式が破格となっていたことには驚きます。
この大運中の2001年6月8日に事件を起こしました。2001年の流年干支は【辛巳】で大変興味深い作用が確認できます。
まずは未と原局との作用を確認しておきましょう。未は原局の卯・午・亥・未すべてに作用する地支です。このため原局はいずれも解合し、全地支固有根となります。その結果、破格ながらも財・官・印の力量が相対的に増し、大運位相としては前運より大分良化していたのです。
ところが2001年の流年干支では、【辛巳】が巡り、原局と巳・午・未の火の方合があらわれました。しかも、この火の方合は火旺(夏)に最も勢いが強くなるのですが、犯行はちょうど午・火旺の6月です。
つまりこれまで食傷が大過していたものが、2001年に入って急激に強まった官により、日干が剋される状況へと一変しているのです。ここで、数値として五行の力量を見てみましょう(姓名の五行力量は計算に入れていません)。
- 木:10
- 火:40
- 土:0
- 金:3
- 水:12
どうでしょうか?ちなみに火の方合ですが、未・午・未(大運)・巳(流年)による4支の団結ですので、力量はざっと40になります。あれほど弱かった火が、このように流年によって急激に強まることがあるということを理解してください。
なお時柱が【壬午】であった場合も、午・午・未・巳の4支による方合が成立します。
姓名の金のエネルギーを加味すれば比劫の力量はもっとありますが、火の勢いには勝てません。印が無力であることが先天運・姓名的にはすべての元凶とも言えるでしょう。五行流通的には、比劫->食傷->財->官->比劫(日干)となるためです。
すなわちこれ(殺人事件)は食傷剋官の忌象ではなく、官剋日干の忌象なのです。大過する官が日干を剋す時、内面的には極端に精神不安定やネガティブ(自分を責めたり他人や社会を責める)な状況になり、いわばヤケクソとなって暴走することがあることは他の凶悪事件の容疑者の例にもよく見られます。
宅間の姓名について
ここまで読んでいただくと、宅間の姓名として【金・金・金】が問題大いにありということは理解いただけたことと思います。宅間の場合は【金・土・火】とし、比劫を抑え、印・調候を有効にすることが必要だということです。