四柱推命旺

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古田順子さん(女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者)の命式解命

以前、虎の舞のユーザー様から記事を書いて欲しいと言われていたことを思い出し、本日は【女子高生コンクリート詰め殺人事件】の被害者である古田順子さんの命式を解命したいと思います。

とはいえ、古田さんの生まれた時刻は分からないため、いつも通り事象からの推察が含まれることは何卒ご理解をお願い致します。

なおこの事件の内容や古田順子さんについて知らない方は以下をご参照願います(かなり残虐な内容を含みますのでご注意ください)。

【(yourpedia:古田順子)】

古田順子さんの三柱

早速古田さんの三柱を見てみましょう。古田さんの生年月日は先ほどのページに1971年1月18日と記載されています。

天干
地支

古田さんは日干・癸水の人であり、月支は丑のお生まれです。しかし、ここで解命を難しくしている問題が出てきます。なぜなら、古田さんが生まれた1971年1月18日は、ちょうど水旺から土旺へと切り替わる日となっているためです。

私のプログラムでは(多少の誤差がある可能性があります)、この日の12時45分頃より土旺へと変わっていますので、まずはこの点が大変重要なポイントになると考えています。しかし、この日は土旺へと移る日であるため、既に土の気が強まっている時(日)であることに注意する必要があります。

月支の丑が水旺なのか土旺なのかが分からない状態では日干強弱も見極めようがありませんので、まずは古田さんに起きた事象から、命造を推測していく作業が必要となります。

古田さんに起きた災難から命造を推測する

先ほどのページには、以下の記述があります。

1988年11月25日を最後に行方不明となっていたが、翌年3月29日、本事件の主犯格や共犯者の供述によって下記の項目の事実(残虐行為の数々)が明らかとなり、江東区若洲の埋立地(現在の若洲海浜公園の敷地)でドラム缶にコンクリート詰めにされた遺体として発見された。 遺体は格子柄のスポーツシャツにスカート姿。ひざを両手で抱きかかえるような格好で押しこめられ、頭までコンクリートを流し込まれていた。発見当初は元の顔がわからないほど原形をとどめていなかったが、司法解剖と指紋鑑定の結果、行方不明になっていた本人のものと一致した。

まずはっきりとしていることは、この事件には官の忌象があらわれているということです。官の忌象とは、主には官が大過あるいは不及となって起こる悪運的事象のことであり、主には以下のような忌象が発生します。

  • 犯罪に巻き込まれる
  • 災難に巻き込まれる
  • 人に殺傷(虐待)される
  • 妨害や圧迫を受ける
  • 刑罰を受ける

官の忌象には様々あるのですが、その中で、官が忌神となり、なおかつ極めてアンバランスとなる場合に起こりやすい事象について記述しました。忌神である官がアンバランスとなる場合は、日干の強い・弱いに関わらず、その運気が著しく偏る場合は、以上のような事象が発生します。

以上のことより、古田さんの原局あるいは事件が起こったその時において、官が忌神でありなおかつ大過していた可能性が高いということが言えるのです。そして日干・癸水においての官は土です。しかし、身強・身弱どちらでも官が忌神となる可能性はあるため、古田さんの三柱からその点を見極めていかなければいけません。

さらに古田さんの事象からは、食傷の忌象も発生していることが見て取れます。以下に食傷の忌象について主なところを示します。

  • 事故・怪我
  • 非難や攻撃・迫害を受ける
  • 災難に遭う

など、官の忌象と被るような事象もあるのですが、要は食傷がアンバランスとなると、生活の安定が脅かされたり、不慮の災難や事故に遭遇することになります(私も食傷の水が無力化した過去に、大事故に遭遇したことがあります)。

官と食傷の忌象が同時に発生する命造とは?古田さんが生まれた時刻を推定

そして、以上を踏まえると、官と食傷の忌象が同時に発生する命造(あるいは五行バランス)ということになるのですが、それは印が大過する命造なのです。すなわち、古田さんの命式もしくは事件に遭遇した時期の運気において、印が大過していた可能性が非常に高いと考えることができます。

なぜなら、印が大過すると官が忌神となり(官は印を生じる)、さらに印は食傷を剋すためです。このため、印と官が大過する場合においては、官大過の忌象および食傷不及の忌象が同時に発生することになり、その運命は大変波乱の様相となります(虎の舞のご依頼者様においても、著しい悪運を生きてきたタイプは印大過・身強の方が多いです)。

以上のことから、古田さんが生まれた時刻に見当を付けてみることにしましょう。

天干
地支

そこで、私が最も可能性が高いと考えたのが酉刻です。まず、あれほどの悲惨な事件を受けた方ですので、調候が不良であった可能性は極めて高く、そのため火の時刻の生まれである可能性は低いと考えました。

さらに、金が強まる時刻は15時(申)~19時(戌)となりますが、酉刻の場合は食傷の卯と冲去。さらに後ほど解説する事件のあった流年干支との関係から官・印大過となる時刻です。

天干
地支

また、0時代(壬子刻)も有力な候補となります。なぜなら、事件が起こった大運は亥水であり、原局と亥・子・丑の水の方合が起こるためです。この場合は水旺の生まれとなるため日干中強以上、忌神は水・金となり土は忌神ですが、逆に事件当時官(土)不及の忌象が起こってきます。

なお23時の生まれでも【甲子】刻となりますが、この場合は土旺に入っているため原局は身弱です(ややこしい)。

以上の時刻を元に、実際に事件が起きた大運干支・流年干支を照合してみましょう。

事件が起きた時の大運と流年干支

事件が起こった1988年の大運干支は【丁亥】水旺運でした。先ほどの二つの時柱の場合、いずれも天干の丁火は固有となりますが調候の役割は果たせません。

また酉刻生まれの場合、亥は原局における酉・亥を解合するため身強となり、忌神は水・金・土。喜神は木・火。

そして流年干支は【戊辰】ですが、事件が起こったのは11月なので年支の辰は土強となっている点に注目です。この場合、流年の辰は時支の酉と支合の関係ですが卯があるため固有根となり辰相生酉となり金が一気に強まります。また戊辰により忌神の官が大過、さらに官が印を相生し、強まった印(金)が食傷(木)を制することで官と印の忌象が発生したという推測です。

そして壬子刻の場合はどうでしょうか。まず、大運【丁亥】により北方が完成し水奔流となります。そこへ流年干支【戊辰】が来るものの、辰は水の旺支である子と作用することで水の勢いがさらに激化。すなわち水奔流し土砂濁流となった状態がさらに11月・亥水・水旺運に極まり、官および比劫の忌象を現出したという流れです。

以下に、古田さんが死亡した日の三柱と五行エネルギーを見てみましょう。

天干
地支

なんと水が大過している日で、しかも子・辰の水局半合成立。以下に五行エネルギーの数量を掲載します。

  • 木:8
  • 火:0
  • 土:3.3
  • 金:0
  • 水:30

水が大過です。上記を見ると、水が最忌神である可能性を示唆しているため、【壬子】の方が有力であるという見方もできます。しかし、水の大過で忌象が発生するなら、大運が開始した頃から何らかの忌象が発生しなければおかしい、という見方もできます。

とはいえ現状の私の見解では、上記二つが可能性の高い時柱です。また、以下で説明する姓名構造も、これらの時柱を分析した要因です。※なお他の時柱干支についても考察していますが、長くなるため省かせていただきます。

姓名構造が日干強弱に影響すること

これについては信じられない方もいるかもしれませんが、実は姓名構造は先天運における日干強弱に影響します。このため先天運単独や、姓名単独の分析では運勢と事象が的中しないことが頻繁に起こるわけです。

今回の古田順子さんの場合は、その姓名構造は土と金と水だけです。実造は土二格、金二格、水一格ですので、これらの五行エネルギーを先天運五行エネルギーに配分・加味し、その上で原局や大運・事象を分析するという大変緻密な作業が必要となるのです。

すると先ほどの時柱【辛酉】【壬子】どちらにおいても身強(後天的には)となり、先ほどの大運期・流年期には土・金・水が大過するという忌象と合致することになります。また、調候不良ということが、古田さんの運勢においては非常に大きなマイナス点であるのですが、姓名にも調候が無く、水や金の大過によって言わば大洪水のような忌象が起こったと考えられます。

このため古田順子さんの場合は、古田姓においては【水・金・土】ではなく、【水・木・土】という構成とし、外格に調候の陽火を入れることが正解となるのです。このようにすることで位相が格段に上がるため、大運が亥水でも子水でもそれほど忌象が起こることなく、寿を伸ばすことができたはずです。

今回の記事はさらに考察を加えたいところですが、長くなりすぎるためこの辺にしておきます。