用神は命中の干を取るべきか否かということについて
最近それぞれの格局における用神の取り方についての記事を書いていますが、そもそも用神は命中のものを取るべきか、それとも命中にはなくても良いのかということについて、今回は私なりの考えを書いてみたいと思います。
『用神取るものなし』はおかしい
古来より四柱推命においては、『用神は命中の干を取るべき』としている占い師の方が多いようです。ですから忌神だらけの命の場合は、『用神取るものなし』と言ったりします。
しかしそもそも、用神とは何でしょうか?
用神とは本来、『その者の命を良化するための唯一最良の干』のことです。その用神は、その者の命式の五気の様相から判断し、唯一最良の干を導き出すわけです。そのため用神は、命中にあるか否かによって左右されてはいけないのです。
よく、『命中に甲がないため、仕方なく壬を用神と取る』なんて言う占い師がいますが、それは用神ではありません。用神とは繰り返しますが、『その者の命を良化するための唯一最良の干』ですから、命中にあるか否かという問題に左右されてはいけないのです。
ですから当然、命中に忌神しかないからと言って『用神取るものなし』というのは断然おかしく、その場合は『用神は命中にはない』と表現すべきなのです。
用神は何か?という問題と、用神は命中にあるのか?といった問題は分けて語るべき
つまり用神論においては、『用神は何か?』という問題と『用神は命中にあるのか?』という問題は分けて語らなければならないということです。
なお日本において用神論を広めた四柱推命の大家である武田考玄氏は用神のことを、『用神とは、命中にある命を良化するところの緊要なる一神である』と述べています。
このうち、『命中にある命を良化するところの緊要なる一神』については私も同意しますが、それを『命中にある』としてしまうと、結局のところ『命を良化するところの緊要なる一神』ではなくなってしまうのです。つまり上記の武田氏の言葉は、暗に矛盾をはらんでいることになります。
実際に用神を取ってみる
用神は『命を良化するところの緊要なる一神』ですから、何度も言うように命中の有無には左右されません。概して用神が命中にあるものは喜の傾向が、用神が命中にないものは忌の傾向があると言われますが、それはまた別の問題となります。
用神が命中にある命式
以下の命式をご覧ください。
天干 | 壬 | 庚 | 己 | 辛 |
---|---|---|---|---|
地支 | 午 | 子 | 亥 | 酉 |
- 日干:庚
- 格局:食神格
- 用神:甲木
- 用神の有無:有り
- 喜神:木・水・火
- 忌神:土
- 閑神:金
私の命式です。食神格の身強であり、水・木・火が喜神、用神は甲木です。その次に用神の有無を判断します。用神の甲木は亥中にありました。つまり私の命式は用神が命中にあるタイプです。
用神が命中にない命式
天干 | 丙 | 庚 | 丙 | 庚 |
---|---|---|---|---|
地支 | 戊 | 戊 | 戊 | 子 |
- 日干:庚
- 格局:正官格
- 用神:甲木
- 用神の有無:無し
- 喜神:木・水
- 忌神:土・金
- 閑神:火
以上の命式も日干・庚金であり、印の土大過するため木が用神となる命です。しかし、甲木は命中に一つもありません。このような場合に、『甲木ないため仕方なく子中の壬を用神と取る』ということはやってはいけないのです。なぜなら、壬は土に剋されるため、『命を良化する一神ではないから』です。
以上のように、用神と用神の有無は分けて判断する必要があります。
用神の命中の有無による喜忌
一般的には、用神が命中にあるほうが吉命と判断します。なぜなら、命中に用神があるということは、用神が常に命中を良化する働きをしているということだからです。
しかしながら、当然大運・流年運によって用神が無力化するということが起こります。反対に、用神がない人も歳運によって用神があらわれる時もあります。つまり、やはり運勢は歳運によって常に変化していますから、命中に用神がないからといって直ちに凶命とはならないのです。