「刑」とはなにか~刑・害・破不要論
四柱推命には古くから冲・刑・害・破などの理論があり、概してこれらは悪い作用をもつものとして解説されていますが、冲でも解説したように一概に凶となるものではありません。また冲はその理論が一貫しているものの、刑・害・破などは理がないため、私は一切採用していません。
しかしだからといって刑・害・破を無視していると皆様に疑念をもたせてしまうため、これから三回にわたって刑・害・破についての記事を書いてみようと思います。今回は「刑」です。
一般的には冲が最も強い衝突であり、刑はその次に重い衝突や攻撃であり、ゆえに運命上の凶意も強いものと考えられていますが、そもそも冲や刑自体が凶となるわけではないことは、これまで解説してきたとおりです。
また刑にいたっては、その理論自体が全く一貫性のないものであり、取るに足らないものなのですが、ある記事では『火の三刑の恐怖!』とか、ウィキペディアにも『全てにおいて大凶の組み合わせと言われ、子供の誕生の調整に避けるべきである。』などともあり、不必要に人々を怖がらせています。しかし以下をお読みいただければ、刑など一切恐れる必要のないものであることが明瞭となるでしょう。
「刑(けい)」とはなにか?
以下の表を御覧ください。これが刑の実態です。
方合 | 三合 |
---|---|
東方 | 水局 |
寅 | 申 |
卯 | 子 |
辰 | 辰 |
南方 | 火局 |
巳 | 寅 |
午 | 午 |
未 | 戌 |
西方 | 金局 |
申 | 巳 |
酉 | 酉 |
戌 | 丑 |
北方 | 木局 |
亥 | 亥 |
子 | 卯 |
丑 | 未 |
「刑とは、三合と方合を対峙させた時に、隣同士になる地支のこと」です。実際に上の表において隣同士になる地支が刑の関係となります。
自刑と三刑
ちなみに辰・午・酉・亥はそれぞれが自分と刑になるために「自刑(じけい)」と言いますが、四柱推命に詳しい人であれば聞いたことがあるかもしれません。単純に以上の表で偶然に自分を見たために「自刑」と名前を付けただけなのです。
また寅・巳・申を三刑とし、命式の地支にこれらが揃っていると凶だとか、大運との関係で寅・巳・申が出来ると恐ろしい出来事があるというように脅かしている占い師もいますが、既に刑自体の成立に理がないわけですから、一切恐ろしがる必要はないと言いますか、刑成立の裏を知ってしまえば恐れたくても恐れることなどできないのです。
刑が取るに足らない理由
そしてなぜ、刑に理がないのかと言いますと、次の事によります。
- なぜ方合と三合を対峙させなければならないのか?
- 方合と三合を対峙させる際、なぜ火と金だけは五行関係が一致しているのに、水と木だけは異なっているのか?(※方と合を対等に対峙させるのであれば、東方と対峙するのは木局であり、北方と対峙するのは水局ではないのか?)
すなわち、方合と三合を対峙させる意味さえ不明なことに加え、対峙させる五行関係にも矛盾が生じているため、全く取るに足らない理論であることが分かります。
このため、四柱推命の様々な書籍においても、刑の理論については理が全く解説されていません。みんな分からないからです。ただ単に刑となる地支の表が掲載されているだけであり、その解説もこじつけ的なものがほとんどです。
したがって私も、刑は一切不要と判断していますし、その理由も上記の表をご覧いただければ既に十分と考えています。さらに以下、ダメ押し的に武田考玄氏の解説を加えておきます。
しかし、敢えて申し上げておきますが、刑は採る必要がない、と言っているのは本書が初めてではなく、陳素庵氏も任鐵樵氏も謬説として廃すべきであるとしております。任鐵樵氏は、
『刑の義には採るべきところはありません。例えば、亥が亥を刑し、辰が辰を刑し、酉が酉を刑し、午が午を刑する、これを自刑としているが、そもそも支がそれ自体支を見るのは、全く同一の気を見ることであって、どうしてこれを相刑などと言えるものでしょうか?子刑卯、卯刑子にしても、水が木を相生こそすれ、一体どういうわけで、水が木を刑することができるというのでしょうか?戌刑未、未刑丑、丑刑戌、皆これを同一の気をなし、さらに対冲でもないのに刑するというのは一体どういうことなのでしょうか?寅刑巳も相生ですし、申刑寅は既に冲が成立しているのに、一体全体何の必要があり、どういう理で刑としなければならないのでしょうか?巳刑申は既に合が成立しているのに、どうして再び刑とする必要があるのでしょうか?全く刑というものは何の根拠もない謬説であって採るに足りないものであります。』
とはっきり言い、陳素庵氏は、削除すべき妄論である、と断言しております。大体、方と局とは、一は三者連合して同一五行を強化するものであり、一は方一気が一致団結するもので、これを対峙させること自体からして、理がないと言うより、全く他愛のないいたずらにしか過ぎないものです。ですから、刑は削除します。刑など採らなくとも、命は推すことができます。刑にとらわれるなら、命理は遂に混乱を招く結果となります。都合のよいところにだけ刑をもって来るなどということは、許されないのであります。
【四柱推命学詳義】(武田考玄)より引用